@article{oai:hokkyodai.repo.nii.ac.jp:00006874, author = {木村, 貴紀}, issue = {2}, journal = {北海道教育大学紀要. 教育科学編}, month = {Feb}, note = {演奏を聴くのとは切り離して,または演奏とセットにして音楽批評を読むことは,既に18世紀から始まっていることである。そうしてシューマンによってショパンは世に出て,一方でマッテゾンによってあのバッハでさえもが酷評されるという状況を生んだ。日本でも,音楽的黎明期にあっては,往時の雰囲気をいきいきと伝えるのは,これもまた歴史の浅い当時の音楽批評であった。作曲家の作品である楽曲は,演奏という行為が伴って初めてその全貌が明らかにされる。よってこの場合の演奏を,「作品の批評行為」と認識するという見解がある。つまり,この演奏による批評という立ち位置からもわかるとおり,音楽に於ける批評行為とは常に二次的な位置づけにあり,同時に音楽批評とは,楽曲の批評行為である演奏を更に批評するという重層性ゆえ,ねじれた,危うい立ち位置にあるといえる。このような音楽批評が,いかにして演奏という行為のみならず,その周辺の情報や状況を伝えることができるだろうか。紙媒体上でこれまで展開されてきた音楽批評に代わるコンテンツが,主にネット上に現れてきている現在,従来から続いている「音楽批評によって演奏を『読む』」状況を改めて追う。}, pages = {245--252}, title = {演奏を言説的側面から捉えるという音楽批評によるアプローチの類型}, volume = {70}, year = {2020} }